社会学か教育心理学か英語教育学か

昨日池袋の本部?でちょっとした研修会がありました。テーマは「学習意欲とはなにか」、来て下さった先生は青山学院の佐伯胖先生。自分の不勉強で今まで知らなかったが、認知科学や教育心理などの分野では非常に高名な先生みたいです。折角だったので、一応著書の一つである「学びを問い続けて—授業改革の原点」を読み切るつもりで買ったんですが… まだ出だししか読めなかったけど、軽妙な語り口で教育について綴っていてなかなか面白そうです。

講演会の内容などに関してはまた近いうちに纏めるとして、この前大学院の後輩と話していて自分なりに考えていたことをメモとしてまとめてみようと思って日曜の朝なんぞに誰も見ていないブログを更新しています(笑

私のいた英語教育の大学院はいわゆる実証研究を多く取り扱い、指導法の効果検証などと言った切り口がメインにありました。これは他の国立の教育系大学に多い様な気がします、確証は無いですが。これは一見味気ないと感じる方もいると思いますが(というか最初は誰もがそう思う)実はものすごく教育現場での現実的なポジションにあると言えます。

曰く「研究は実践を超えることは出来ない。研究はあくまでも実践の後方支援、援護射撃なのだから。」ですので、目的の見えない研究計画などはたちまちに集中砲火を浴びることになるのです。

そして私が今籍を置くような私立大学、それも教育学部を持たない学校の場合は実証研究をメインで行うという側面よりももっと大きな枠組みでものを考える傾向にあるような気がします。例えば「自律した学習者を育てる」などなど。いずれも自分としては大事な視点なのだろうと思いますが、今までは「英語教育」という枠の中で何故そういう事を言うのだろうと純粋に疑問を持って来ましたが、きっとそれぞれの「英語教育」という言葉に関する重み付けが違うのだろうと考えるに至りました。

「いかに英語を効率よく、効果的に学習者に習得・習熟させるか」と「英語を通じて(このフレーズは曲者ですが)どのように立派な学習者、ひいては人間に育てるか」という極があり、それぞれに「英語教育」を語るのであろうと考えるのです。つまり、実践を意識した英語教育学と、英語を含めた/英語を題材とした教育社会学/心理学というテーマの違いであって、これでは議論も噛み合ないはずです。もちろん極が二つとは限らず、実際はもっと多元的な事象なのでしょうが。

一度自分の経験で、かなり印象的な言葉を言われた事があります。それは本当にその人にとっての素直な感想で、すごく自分にとっては気づかされる言葉でした。実際に言われた瞬間はちょっとムッとしたことはしたのですが(笑

それは、その人は所謂教育社会学というテーマで研究をする人で、その人と教育というテーマで話している時に、私自身の研究の内容の話をして、最後にその人が言ったことは、「僕にはその(英語教育学での知見)ことはただのトリビアにしか聞こえない。知ってると得かもしれないけど、特段知りたいとは思わない。」

こういうのも異文化交流と言うのでしょうか。

「学び」を問い続けて—授業改革の原点

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