実践と研究

深夜と少量のお酒の力を借りて、日頃思っていることを。

最近、今まであまり手を付けなかったタイプの英語教育の論文や本に目を通すようにしています。きっかけは某会議のせい(おかげ?)なのでしょう。それは、「自律的学習者」や「協同学習」と言ったキーワードのもので、少し前からよく聞かれるようになりましたね。とりもあえず、自分の勤務する学校の学部や大学院ではこの手の研究は多いと思います。今までそれらの論文を読まなかったのはそんな大した理由があったわけでもなく、多分一番はK先生の影響かと。でも、郷入れば郷に従え、じゃないですが、折角の機会だし読んでみようと言う気にようやくなれたのでした。実際に理念は素晴らしいと思います。

でも、これは自分のいた院の考え方の影響なのでしょうが、こういうテーマで「研究」という名前がついてその研究の目的やアブストを見ていると大体が「腑に落ちない」という感想を持ちます。今まではその「もやもや感」の正体は分からなかったのですが、ようやく気づきました。

「その研究の目的は何?」という根源的なものが今までちょっとピンと来てなかったのだ。あまりに追い求めているものが大きすぎて(自律的学習者を育てる、って考えてみたら本当にスゴいことです)自分にとってぼやけてたのだ。それで、研究自体も大きな枠組みで行うのであればバランスも取れるのに、やっている実験などは教室規模でやって(実際上当たり前ですが)結論として「いやいや、それって当たり前じゃね?」って結論になる論文が多い気がしてたからだと思う。でもイメージだけかもしれないし、まずは頭をニュートラルに戻して読んでみたいかな。

あとある人が「英語教育分野は研究と実践がまるで違う次元にある」と言ってたけど、それはただ単にあなたが研究の為の研究をテーマにしてたからでしょ、と一言いいたくなった。上で触れているテーマやトピックも気をつけないと、本当に狭い世界での自己陶酔の為の研究に成りかねない気がする。研究が実践を上回ることはあり得ない。

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